養源院

1594年 淀君建立

 

浄土宗遣迎院派
 

本尊 阿弥陀如来

 

 豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の菩提を弔うために建立した寺院。その後火災に遭い、1621年、徳川秀忠の夫人・崇源院(淀君の妹)が再建し、以来徳川家の菩提所となる。そのため、本堂入り口の幕には葵の御紋が。
 またこの時、伏見城落城の際、自刃した鳥居元忠らの血で染められた廊下の板を、供養のために天井に用いて本堂を建立したため、現在でも血天井として残っている。中に入ると、係りの方が棒を使って説明してくださる。黒い染みが人の姿や足跡となって残っており、その壮絶さを物語っている。
 血天井とは対照的に愛らしいのは、俵屋宗達筆の襖杉戸絵。戸板にころころとした動物たちが描かれていてなごむ~。特に白象がとっても可愛い。
 内部も説明してくださるのだが、その解説はなんとテープレコーダー。しかも、持ち運び式!一箇所テープでの解説が終わると、係りの方がテープレコーダーを持って「次、こちらへどうぞ」と促されつつ移動する。…問答無用ですか…(^^;)?えっと、自分のペースで拝見しちゃダメですか?みたいな。説明して下さるのはありがたいのですが、もうちょっと見たいなと思ったわけですよ。ちょっとびっくりしてしまいました。もしかすると、ひととおりまわったあと、自由に回ってもいいのかもしれませんが…。そして、現在はシステムが変わっているかもしれませんが。
 本堂の右手奥には歓喜天堂(だったか?)がありましたが、参道途中から立ち入り禁止になっていた。
 三十三間堂の隣に位置するのだが、とても静かで入り口から本堂へ続く参道が特に素敵だった。