車折神社

1189年頃 廟を建立
 

祭神 清原頼業(きよはらのよりなり)

 

 清原頼業は、平安時代末の漢学者・儒学者。1189年逝去。その折、清原家の領地であったこの土地に葬られ、廟が設けられる。この廟が現在の車折神社の前身である。
 時代は下り、嵯峨天皇が嵐山御幸のとき、この神社の前を通ったところ、牛車の車軸が折れたことから「車折」の名を与えられた。「車折」と書いて「くるまざき」という珍しい読み方をする。
 京福電車の車折神社駅のすぐ目の前が裏参道入り口。少し歩くと拝殿と本殿が見えてくる。拝殿の前には、雅楽の「蘇利古」の雑面のような模様が描かれている。一体どのような意味があるのかは謎…。
 その背後には願いが叶うと言われている祈念神石を受けて、実際願いが叶った人々が納めたお礼の石が、うずたかく積み上げられている。
 また境内には、天宇受売命を祀った芸能神社があり、芸能・芸術に関する人々の信仰が篤い。
 その証が、この社の周りをぐるっと囲んでいる無数の朱色の玉垣。芸能人や芸事の世界で生きる人々の名前がずらっと並ぶ。これは絶対あるだろうと、梨園の方のお名前を探した。そうしたら、ありました。市川段四郎・亀治郎親子のお名前が!きっと私、怪しい人だったでしょうね(^^;)。
 境内には摂社・末社がいくつかあり、芸能神社の向かいには、清少納言霊社がある。ご祭神の一族だからという縁で祀られているらしい。
 私が訪れた時、ちょうど早咲きの河津桜と寒緋桜が咲いていた。