矢田寺

796年 満米(満慶)上人開基

 

西山派浄土宗光明寺派

 

本尊 地蔵菩薩

 

 京都の三条の賑やかな場所にこっそりと建つお寺。ともすれば見過ごしてしまいそうであるが、たくさんの赤い提灯が、ここにお寺があることを主張している。商店街(というのかな?)のど真ん中にあり、若者(笑)の多い場所なので、写真を撮るのがちょっと恥ずかしい感じ(^_^;)。
 もとは、奈良の金剛山寺(矢田寺)の別院として建立された。後に、小野篁が五条坊門付近に建立する。
 小野篁といえば、平安時代の人で、昼は朝廷に仕え、夜は冥府に仕えていたという伝説のあるお方。このお寺も篁ゆかりのお寺だったのだ。

 篁が夜は冥官となって閻魔大王に仕えていたところ、三熱苦(逃れられない苦しみ)に悩む王を救うために満慶上人を閻魔宮につれてゆく。そして、満慶上人は菩薩戒を閻魔王に授けて救う。王はそのお礼に上人に地獄を見学させる。上人はその時、地獄の中で働く地蔵を目にし、そのお姿を刻んだものが矢田地蔵だと言われている。
 また、上人が帰るとき、土産として米の入った枡を持たせた。その枡の米は、不思議と尽きることはなかったので、満米上人という名をもらった。
 この本尊の地蔵菩薩は「代受苦地蔵」、「生身地蔵」とも呼ばれ、火炎の中に立っていて、インパクト大。もともとこの火炎は光背としてあったものだそうだが、取れてしまったので前に置いたとか…。
 六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、こちらの鐘は「送り鐘」といわれ、お盆に祖先の霊を送る鐘とされている。