浄福寺

延暦年間(782~806年) 賢憬(けんけい)大僧都開山
 

浄土宗
 (もとは天台宗)

 

 本尊 釈迦如来


 元は、京都御所の東北に建立される。当時は二十五大寺のひとつ(ほかに仁和寺や醍醐寺がある)とされるほどの大寺院だったが、度々火災にあい、1615年に現在の地へ。
 1525年には後柏原天皇により念仏三昧堂の勅号を賜り、浄土宗を兼ねるようになる。その後、知恩院の末寺となる。
 1788年、京都の約8割を焼き尽くした天明の大火の折、このお寺の赤門に鞍馬山の天狗がやって来て大団扇であおいで、火の手を食い止めたという伝説が残る。
 こちらのお寺も、普段は非公開。非公開文化財特別公開の折に参拝した。もっとこぢんまりとしたお寺かと思いきや、結構立派なお寺だった。
 注目すべきはこちらの本堂。1666年に「三間梁機制(さんげんはりきせい)」という建築に関する法令が制定され、火災で被災していた当寺も機制の対象であった。
 この法令は、建物の奥行きを三間(約6メートル)以内にしなければならないというもの。しかし、本堂はもっと広くしたい。そこで、当時の僧侶たちは考えた。建物を二つ作って、その間をつなげれば、広い空間ができる、と。
 で、できた本堂。外観から見ると、二つの建物が渡り廊下で繋がっているようなつくり。しかし、内部に入ってみると、みごとに一体となった空間。
 じつはこれ、立派な違法建築!そう、日本最古の違法建築なのである。…面白い…。
 そして、書院では十王図の一部展示があった。途中、ご住職の絵解き説法が行われ、参加。
 方丈天井には龍の図が描かれており、中央で手を叩くと反響して聞こえる、「鳴き龍」が。
 普段は内部は拝観できないが、見所が多いお寺だった。