慈照寺(銀閣寺)

1482年 足利義政造営

1490年 寺院となる
 
臨済宗相国寺派
 

本尊 釈迦如来
 
 東山文化の集大成、銀閣寺。銀閣寺は通称で、正式には、慈照寺。義政の西芳寺をモデルとして建立した東山山荘が前身(ただし、江戸時代にお庭が改修されており、当時の姿はかなり失われているそうである)。義政の死後、菩提を弔うために寺院として改めた。
 総門から中門までの、巨大迷路を思わせるような手入れされた生垣(銀閣寺垣)が見事。別世界への入り口のようだ。
 拝観時にはお札もだける。
 江戸時代に造られたと言われている銀砂灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)が美しく、銀閣(観音堂)の凛としたたたずまいをより一層引き立てている。これらが造られた目的というのは、はっきりとはわかっていないようだが、一説には、月夜にこの白砂が照らされて、その反射した光が銀閣を照らし、幻想的な雰囲気を演出するためだとか。…すごいこと、考えるなあ。そして観音堂には、金閣寺の金箔と同様に銀箔が使われていたという説もあったが、近年の調査により、銀箔は使われていなかったことが分かったそうだ。金閣寺に比べて、渋い姿だったそうである。個人的には、この渋さがたまらない。
 結構きつい山道(?)を進み、背後の山の展望所に登ると、銀閣、お庭、東求堂、そして京の街まで一望でき絶景。
 春と秋に行ったことがあるが、個人的には秋がお勧め。
 そして、年に何度か特別拝観が行われる。拝観料は二千円と少しお高めだけれど、普段は中に入ることはできない本堂・国宝東求堂及び再建された弄清亭の三箇所を拝見できる。しかも案内係りの方が説明をしてくださるし、少し立派な冊子もいただけるのでとてもわかりやすい。それだけの価値はあるので、ぜひ!
 東求堂は、社会の資料集などにも必ず出てくる「書院造」が最初に造られたといわれている、同仁斎のある建物。また、義政の等身大といわれている像も安置されている。
 義政は、室町幕府のトップとして君臨していたけれど、早々に退位し、戦乱の中、政治よりも芸術文化を愛した人。この銀閣寺には、義政の理想が詰まっている。しかし義政は、結局この山荘の完成を待たずに亡くなる。現在の銀閣寺は、観音堂と東求堂以外は後世に作られたものなので、全てが当初のままというわけではないけれど…。
 本堂内には、与謝蕪村、池大雅、富岡鉄斎の襖絵がはめられている。また、弄清亭には奥田元宋(明治から平成の日本画家)の襖絵がある。
 見所いっぱいである。