上御霊神社

794年 桓武天皇建立
 
祭神 崇道天皇(すどうてんのう)(=早良親王・さわらしんのう)
   他戸親王(おさべしんのう)
   井上皇后(いのえこうごう)
   火雷神(菅原道真)
   藤原大夫神(藤原広嗣)
   文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)
   橘逸勢(たちばなのはやなり)
   吉備大臣(吉備真備・きびのまきび)
   藤原吉子(ふじわらのよしこ)

 

 平安京遷都とともに八所御霊が祀られた神社。
 御霊(ごりょう)とは、恨みを抱いて死んでいった人々が怨霊になり、その怨霊が神に祀り上げられ鎮まった状態をいう。
 昔は「御霊の森」といわれるほどうっそうとした森に囲まれていたらしい。現在では、境内の奥のほうに古木があるだけで、かすかに面影をとどめているに過ぎない。
 しっとりとしたたたずまいの社殿は、緑に映えて美しい 崇道天皇(早良親王)は、桓武天皇の実弟で、藤原種継暗殺事件の濡れ衣を着せられ流罪となる。しかし、無実の罪を叫んで断食し、淡路島で絶命する。この裏には皇位争いがあったようだ。
 それから数年後、都では異変が起こり、早良親王の祟りと恐れられた。
 桓武天皇は、怨霊から逃れるために長岡京から遷都し、「平安」京と名づけた。そのときに御霊を鎮めるために建立されたのだ。
 華やかで雅なイメージのある平安時代だが、この社を訪れると、その裏ではいったい何人の人間が陰謀に巻き込まれていったのだろうと考えさせられてしまう。
 私が訪れたとき、ちょうど「囀(さえずり)市」という市が開かれており、にぎやかだったのだが(ちょっと残念)、おそらく普段はひっそりとしているのだろう。
 少し奥へ行くと、そのにぎやかさが嘘のように静かだった。
 神楽殿の長押には、三十六歌仙の扁額が掛けられていた(これもまた近くでは見られず、残念)。
 平安の光と闇を垣間見た気がした。