三時知恩寺

応永年間(1394~1428年) 見子(けんし)内親王開基
 

浄土宗
 

本尊 阿弥陀如来

 

 後光厳天皇の皇女・見子内親王が崇光天皇より入江殿を賜り、宗より伝来の善導大師自作の御影像を祀ったのがはじまりの尼門跡寺院。
 のちに、足利義満の娘・格窓性仙尼(かくそうじょうせんに)を迎えて知恩寺と号する。
 宮中における6回の勤行のうち、3回を当時で行うようにという後柏原天皇の勅命をうけたことにより、三時知恩寺と改称。
 こちらも通常は非公開のお寺。非公開文化財特別公開にあわせて参拝。
 京都御所の北西、同志社大学キャンパスの隣に位置するこぢんまりとしたお寺である。
 本堂には秘仏・善導大師(中国・唐代の僧で、浄土五祖の第三祖。浄土教思想を確立した)の像が安置されている。こちらは、桃山時代に仏師・大蔵卿法印によって作製されたもので、平成22年の解体修理によって当初の彩色が現れた。
 この善導大師像が真ん中に安置されていたので、ご本尊かと思いきや、御本尊の阿弥陀様は大師像の右隣に鎮座されていた。本尊は真ん中にいらっしゃるものという意識があったので、本尊が脇に安置…って異例なのではなかろうか…。軽く衝撃。それほどまでに、大師像が大切にされてきた証だろう。
 そして、一の間(書院)には、源氏絵扇面貼交襖や御所人形が置かれてあり、尼門跡寺院らしさがあった。現在、この源氏絵扇面について調査中だそうで、制作時期や作者については未詳だそうだ。
 こちらの書院は、北山杉を使って作られてそうで、中庭には北山杉が植えられている。内部は写真撮影禁止だったのでお庭の写真もないけれど、こぢんまりとした中庭も趣があった。